たくさんのご来場、ありがとうございました!!!
少しずつ、当日のいろいろをUPしていきます。
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JAGATARA2020のライブより「みちくさ」 Oto(G)/ EBBY(G)/ 南流石(うた)/ エマーソン北村(Key)/ yukarie(Sax, Cho)/ 中村ていゆう(Dr) / 関根真理(Per)/ 宮田岳(B)/ 吉田哲治(Tp)/ 村田陽一(Tb) GUEST: 高田エージ(Vo. from SUPER BAD) |
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松竹谷清 & Chocolate Dandiesのライブより 「ロックユアベイビー」 松竹谷清(Vo, G) / エマーソン北村(Key) / 山口大輔(Dr)/ しゅうへい(Tb from beat sunset) |
s-ken & hot bomboomsのライブより 「よろめきながら地下鉄へ」 s-ken(Vo)/ 小田原豊(Dr)/ 窪田晴男(G)/ 佐野篤(B)/ 多田暁(Tp)/ 矢代恒彦(Key)/ 岡部洋一(Per) GUEST:増井朗人(Tb from Codex Barbès) |
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KODAMA AND THE DUB STATION BANDのライブより 「かすかなきぼう」 こだま和文(Tp) / HAKASE-SUN(Key) / 森俊也(Dr)/ コウチ(B)/ AKIHIRO(G)/ ARIWA(Tamb) |
「TOKYO SOY SOURCE 2019」3/16ライブレポート
伝説から現実へ。 再生したリズムが未来を拡張した夜 伝説はただの伝説で終わらなかった。いや、終わらせなかったというべきか。 30年の時を経て復活した、平成初の、そしておそらく平成最後となる東京ソイソースは、 2019年に響かせる新たな価値と意義を携えて、そこに出現していた。 時間にして5時間、4組のライブアーティスト、4組のDJによる オルタナティブなリズムとメッセージによるカンバセーション、または融合。 それは次の年号、および次の世代へと継承されるべき誠実さを纏っていた。 86年、渋谷ライブインにて第1回が開催された東京ソイソースは、2回目以降、インクスティック芝浦ファクトリーに場所を移し、88年12月に開催された第5回まで、約2年間にわたり続けられた。JAGATARA、MUTE BEAT、TOMATOS、s-ken & hot bombomsらライブアーティストを主軸とし、DJに藤原ヒロシ&高木完(タイニー・パンクス)、いとうせいこう、NAHKI、ランキン・タクシー、ECDなどが参加。現在では当たり前となった、ライブの幕間にDJがパフォーマンスする形式を日本で本格的に採用したイベントとして知られている。当時の発起人であり、主謀者であるs-kenは、東京ソイソースについてこのように述懐している。 「パンクからレゲエ&スカを含むニューウェイヴ、DJスタイルのヒップホップにダンスホール、ラガマフィンと東京における80年代のフロントラインのうねりすべてがこの場に集結したといっていい」(エスケン著『S-KEN 回想録1977-1991 都市から都市、そしてまたアクロバット』より引用) “それから”約30年。再開や復活を待ち望む声も断続的にあったわけだが、それが実行できるタイミングがあったかと言えば、当事者ではない筆者の視点からみても、かなり厳しい状況にあったのは推察できる。ソイソース終了後、江戸アケミ、ナベ、篠田昌已といったJAGATARAの主要メンバーが立て続けにこの世を去り、MUTE BEATもほどなくして解散。s-kenも、自身のバンド活動ではなく、プロデュース業に専念していく。参加していたメンバーが、東京ソイソースという枠の外でそれぞれの課題や問題に対峙し、自己の生き方や、音楽家としてのスタンスを確立するために時間は費やされていった。一方で、東京ソイソースは単なるライブイベントとして人々の記憶から消え去るのではなく、伝説として熟成されてもいったのである。 永遠に封印されるかに思われたイベントであったが、Otoとs-kenが熊本で再会したことを機に再始動の機運が持ち上がる。それでも、実現まで至るとは誰しもが思っていなかったようだが、別の経緯もあり、2019年3月16日、渋谷クラブクアトロで通算6回目のイベントが挙行できることとなる。s-ken & hot bomboms以外のライブアーティストは当時と名義も異なり、30年という時を嫌でも意識しなければならない。だが、再開に関してポジティブな反応が多いように感じられたのも、また30年という時が、脊髄反射的な拒絶よりリユニオンできる驚きや感慨が勝った結果だとは言えまいか。 こだま和文も、このような言葉をTwitterに残している。 “再結成、同窓会ライブの何がわるいんだよ、生きているからできることなんだよ。” ——3月12日こだま和文(寒男)@Kazufumi_Kodama 開演時間の少し前にクアトロに到着し、ぶらりと物販コーナーを眺めたあと、ライブスペースと順路を隔てる重い扉を開いたとき、すでにランキン・タクシーがスピンする陽気なレゲエ・ビートが会場をロックしていた。一曲ごとにMCを入れる伝統的なトースティングスタイルで、実の娘をナンパしたバカバカしいエピソードから、大麻解禁、原発反対のメッセージを並列に扱いながらのパフォーマンス。その眼差しが真剣で鋭くあるがうえに、すべての事象をヘビィに捉えすぎず、明朗に乗り越えていこうとする諧謔性も感じられる。 82年生まれで、完全な後追い世代である筆者は、クアトロの扉を開けるまで、東京ソイソースという看板の前にどこか緊張を隠せずにいた。だが、ランキン・タクシーの端的に言って愉快なDJスタイルがそれを緩和し、看板を見るのではなく、現場のムードに目を向けるように後押ししてくれた。 会場を埋めたのは、やはり当時を体験していた50代が多く、その息子、娘世代の姿もちらほらと確認できた。また、バンドTシャツ姿の人たちがほとんど見受けられず、思い思いの格好で楽しんでいたのも印象深い。ランキン・タクシーは終盤、増井朗人、しゅうへい(Chocolate Dandies)のトロンボーン・コンビが参加した「しくじるな、ルーディ」(THE CRASH)にのせて観客を煽ると、徐々に場内もヒートアップ。チエコ・ビューティもブースに姿を見せる。そこから、ライブアーティストとしてはトップバッターであるKODAMA AND THE DUB STATION BANDにバトンが託された。 「STRAIGHT TO DUB」の、磨き抜かれたシャープなメロディが放たれたとき、この夜に加わることができた幸福が身体全体を包み込んでいった。懐古的でない、かといって過去と距離を置いたわけでもない、現在進行系のアティチュードに溢れているダブ・サウンド。禅のような佇まいでトランペットを奏でるこだま和文の横では、新メンバーであるアリワが堂々とトロンボーンを操っている。まだ19歳の彼女は、サヨコオトナラ、元ZELDAのメンバーであったサヨコの娘だという。白を基調としたスタイルのこだまに対して、黒のドレスワンピースでキメたアリワが並び立つ姿は、ストイックさを保ちつつも華やかだ。 こだまはMCで、「今日この日を待っていました」と感慨深く語り、「言えるのは、ここまでみなさんと僕らが、生きてきているんだなと、そういうことになります」と続けた。失われたもの、今ここにあるもの。どちらをも噛みしめるような彼の言葉は、シンプルだが力強いものだった。 アリワをメンバーに迎えて以降に制作された新曲「雑草」、さらにMUTE BEATからは、故・朝本浩文が作曲した「SUNNY SIDE WALK」を、アリワがボーカルを加える形で披露。過去と現在を接続する、文字通りタイムレスで深いサウンドに酔いしれていると、Oto(第1回東京ソイソース時に購入し、一度も封を切っていなかったMUTE BEATのTシャツを着用)、EBBYが登場。ふたりをゲストミュージシャンとして、近年、バンドがレパートリーとしているJAGATARA「もうがまんできない」を、こだま自らが歌った。オーディエンスも巻き込んだ大合唱は、早くもピークタイムと言える至福のひとときであった。 KODAMA AND THE DUB STATION BANDに続いては、イベント初参加となる森雅樹(EGO-WRAPPIN’)のDJ。鍔の広いハットにサングラスという彼特有のスタイルで、7inch中心の、ヴィンテージ感のあるセレクト。イアン・デューリーなど、東京ソイソースメンバーにも多大な影響を与えたアーティストの楽曲が流れたのも心憎い演出だ。彼と交流が深いという、松竹谷清に捧げるようなプレイでもあった。 そんな愛すべき後輩からのメッセージを受けて、松竹谷清 & Chocolate Dandiesがステージへ。94年、松竹谷が札幌に移住したこともありTOMATOSは活動を停止しているが、以後もソロ、デュオ、バンド編成と様々な形で、演奏を続けている。今回のバックを務めたChocolate Dandiesは、トロンボーン、ドラム、キーボードという一風変わったベースレス編成で、キーボードのエマーソン北村以外は、明らかに松竹谷より若い世代。だが、昔から受け継がれてきたかのようなトラディショナルな「型」が見え、特別な存在感・風格がある。赤の帽子、赤のパンツという出で立ちの松竹谷は、ブルース、スカ、ロックステディ、カリプソなど、これまで探求してきた多彩なリズムワークを最小限の音数で表現するサウンドの中、とても心地よさそうに歌い、ギターをかき鳴らす。 セットリストの半数は、TOMATOS時代から歌い継いでいる楽曲で構成されていたが、昨年、22年ぶりにリリースされたアナログ・シングル「THE CHRISTMAS SONG」でも変わらぬグッドメロディーを響かせる。ラストは、日本のレゲエ~ロックステディにおける記念碑的名曲「ROCK YOUR BABY」で締めくくった。松竹谷のボーカルとサウンドから生み出される、フレンドリーでハートウォーミングなオーラが、会場中に優しく伝播していく時間となった。 クアトロのDJブースは楽屋/控室と直結しており、ライブ中も様々なアーティストが顔を出す。ステージで見せる顔とは違い、酒を酌み交わしながら談笑しているアーティストたちの光景が見られるのも、オーディエンスと無用な隔たりがなくて嬉しい。ここでのDJは、チエコ・ビューティ。オーセンティックなロックステディを流し、これまでのアーティストが築いてきた心地良いグルーヴをキープする。標準的な対バン企画のように個々が独立しているわけではなく、ゆるやかにつながった非規律的な一体感が続いていく。30年前のインクスティックを体感できなかったが、こうした雰囲気の良さに、東京ソイソースというイベントの強い求心力を感じ取ることもできた。 ステージにナベ、篠田昌已の顔写真をプリントしたバルーンが置かれると、会場からはどよめきが。現在は熊本に移住しているOtoを加えたラインナップとしては、2004年に開催された『じゃがたら祭り「クニナマシヱ」』以来、久々のパフォーマンスとなる。「2020」名義の今回は、オリジナルメンバーに加え、ベースに宮田岳(黒猫チェルシー)を迎えた編成で、事前に発表されていなかった村田陽一も合流。冒頭、ホーンセクションがメロディを奏でるだけで(新曲の断片との噂も)、彼らの音を待ちわびたファンの歓声が挙がる。江戸アケミのバルーンと共に南流石が登場すると、「裸の王様」~「Hey Say」~「クニナマシェ」のファンク・ロックメドレーへ。EBBY、南、Otoのフロント3人が代わる代わるボーカルを取り、今のバンドとしての在り方を見せていく。JAGATARAにとって、欠けたピースのひとつひとつは確かに大きく、「昔のまま」を再現することは不可能だ。だが、躍動的なアフロ・ファンクのリズムは、決してノスタルジーの中で語られるものではなかったし、地に足の着いたビートとして先鋭的に刻まれていた。 「昔のまま」を再現しない、という意味では、ゲストボーカルの参加も大きな役割を果たしていたと言えるだろう。「みちくさ」では高田エージ(SUPER BAD)が切れ味鋭いシャウトボイスを聴かせ、いとうせいこうが攻撃的なラップをビートに当てていく。長尺の「都市生活者の夜」では、ライブ先の福岡から急遽駆けつけた七尾旅人と、Nobutaka Kuwabara(DEEPCOUNT)が合流。江戸アケミと同じ高知県出身で、JAGATARAへのリスペクトを公言している七尾は、歌詞を丁寧に読み解くように、噛みしめるように歌う。いつにもましてブルージーな趣きがあり、それは江戸アケミとは異なる声質でありながら、不思議とサウンドを牽引する核として作用していた。30年以上前からバンドを知るNobuも、既に亡くなったJAGATARAメンバー、そしてECDの名前を挙げ、「甦れ!」と天に届けるように叫ぶ。七尾とNobu、世代の異なるふたりの声がJAGATARAの中で邂逅するというのも、ドラマティックな場面であった。 追悼、祈り、リスペクト――奇跡的に再生したイベントの中で、JAGATARAへの様々な想いがステージ、オーディエンス双方から飛び交い、快楽のグルーヴの中で昇華されていく。MUTE BEAT、TOMATOSも同様に、誰かの死を契機にするのではなく、前向きに創られたハレの場で共に夜を過ごせたこと。ラスト、アコースティック版「もうがまんできない」で得た底なしの熱狂も含め、忘れがたいものとなった。 本日、開場時間にも登場した高木完が、イベントのラストブリッジとしてDJブースに。記憶を蘇らせることでも、記録を振り返ることでもない、イベントが生モノであることを実感できたのは彼のプレイだった。CDが回収、配信停止の憂き目にあった電気グルーヴ「Shangri-La」を何気なく繋いで場を沸かせ、遠藤賢司「不滅の男」で不在の者たちの魂に想いを馳せる。ダンス・ミュージックであり、社会批評でもあり、そのふたつが密接に繋がっていることの面白さを提示していた。イベントがはじまって4時間、まだまだ熱は冷めやらず。この夜がいつまでも続いてほしいと願うかのようだった。 ステージには名うてのミュージシャンが勢揃いし、イベントのトリを務めるs-ken & hot bombomsがスタート。2年前にリリースされた新作『Tequila The Ripper』 から、レコ発となるワンマンライブをひとつの到達点として、さらに東京ソイソースの最新型である「TOKYO SOY SOURCE 2019」へ。これ以上ない旅路の果てに、最新型のs-kenのライブがあった。東京ソイソース開催時期に制作されたアルバム『パー・プー・ビー』収録の「ジャングル・ダ」からスタートし、新作を中心に合計8曲。エメラルドグリーンが眩しい派手なジャケットを羽織ったs-kenは、72歳となったがその動きは軽快、そしてボーカルもしっかりとエッジが立っていて、まだまだフレッシュだ。 「酔っ払いたちが歌い出し、狼どもが口笛を吹く」以降は、盟友と言える増井朗人もゲストで数曲参加し、ダンス・バンドの面目躍如とばかりにテンポよく演奏を繰り広げていく。パンク×ファンキー=パンキーをコンセプトにした、ブーガルーやアフリカン・ビートをニューウェイヴの観点から内包した洒脱なアーバン・サウンドに変わりはない。いや、四半世紀以上の時を経てそれはアップデートされ、モダンであり続けている。クライマックスは、再び『パー・プー・ビー』から、「よろめきながら地下鉄へ」。“東京の異人都市空間を限りなくループする”とのテーマで練り上げられたこの曲のように、都市から都市へ、またはライブハウスからそれぞれの生活へ還っていく私たちを彩るように音が広がっていった。 フィナーレでは、s-kenが「あまり象徴的な楽曲はないのだけど」と前置きした上で、かつての東京ソイソースで、数人のメンバーが観客を見送るように歌っていたという「イヤダヨ」を出演者全員で合唱。すでに赤ら顔のこだま和文、気ままに踊るs-kenなど、小難しいことを抜きにした祝祭的なムードが漂う。当時から参加していたメンバー、今回がはじめてのメンバー、どちらもこの場に集結できたことの喜びで満たされた素敵な光景であった。 東京ソイソースが一旦終わってから約30年。以後、出演者がソイソース・サウンドの一部であることを誇りに思っていても、過度にそれを強調するわけではなかったように思う。それは、時にシーンと戦うような振る舞いをしてでも個を高めることに注力してきたからであり、だからこそ今がある。「昨日は事実 今日は存在 明日は希望」――江戸アケミが遺した、そんな言葉と向き合うかのように。 だが、クアトロの場に集い、「イヤダヨ」で戦友たちと肩を組みながら笑顔を振りまき、別れを惜しむ彼らの姿は感動的ですらあった。JAGATARAも2020年までは活動していくようであるし、これからは皆が目に見える形で手を取り合い、助け合っていくのも粋ではないだろうか。言葉で、態度で、そして音楽で老若男女に東京ソイソースの魅力を伝えること。孤高ではなく、連帯。そのことではじめて、クアトロで生み出されたきらびやかな景色が、リアルな都市生活者の桃源郷として次の世代に受け継がれていくはずだ。 雪解けの季節はようやく終わった。 春はもう、すぐそこまでやって来ている。 森樹
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Ⓒ2018 TOKYO SOY SOURCE 2019