新しいリズム、新しいベースライン、新しいファッション、新しいダンスが、きみに1冊の本以上の智恵を授けることがある。
まだこの国にDJも、クラブも、ハウスも、ラップも、テクノも根付いていなかった1986~1988年に、JAGATARA、ミュートビート、TOMATOS、エスケン&ホットボンボンズの4バンドが集まったシリーズ・イベント"東京ソイソース"(全5回)が広めたのはこのようなメッセージだったのではないか。と、当時の観客のひとりとして思っています。 ひとつの曲の中で一人ひとりがてんでばらばらなグルーヴで踊る楽しさも、踊り明かした朝に駅まで歩きながら見る日の出の眩さも、教えてくれたのは全部、東京ソイソースだった。 世の中はバブル経済真っ盛り、お立ち台と扇子で有名だった湾岸ディスコの近くにあったインクスティック芝浦ファクトリーが東京ソイソースの拠点だった(第1回目のみ渋谷ライブイン)。東京ソイソース開催日の深夜には、未知のリズム体験を求めてうずうずしているカッコいい男女がどこからともなく集結していた。その中には若き岡崎京子や佐藤伸治(フィッシュマンズ)らも混じっていた。 だが、先の湾岸ディスコがバブルの代名詞として語られるのに比して、東京ソイソースは後の文化全般に大きな影響を与えたにも関わらず、これまで表立って語られることがないまま、密教的に口伝で受け継がれるのみだった--。 そんな東京ソイソースが、2019年3月、1日だけの復活を遂げる(奇跡的に)。この事実に狂喜乱舞するかつての人々も、リアルタイムで体験しそこなったその他全ての人々も、リズムは平等に救済してくれる。もちろん肉体的欠損を抱えて物理的にダンスできなくても、精神でダンスすればオッケー。「Bassline changes my life.」この言葉に共感すれば当日は仲間だ。お洒落して集まって、同じ音楽で一緒にばらばらに踊ろう。 北尾修一(百万年書房)
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NEW
*松竹谷清 & Chocolate Dandies
映像「ロックユアベイビー」を公開!! 2019.06.05 *森樹氏による3/16ライブレポートをUP!!
2019.03.28 *「TOKYO SOY SOURCE 2019」大盛況にて終了!!
当日のいろいろをUPしていきます。 まずは、JAGATARA2020の映像を!!! 2019.03.25 PAST
*松竹谷清×森雅樹(EGO-WRAPPIN’)
「こっち寄りの大人たち」 2019.02.28 *TOKYO SOY SOURCE 2019 チケット完売!!
当日券の有無は公演前日3/15に、 SNS、こちらのサイトでお知らせします。 2019.02.18 *TOKYO SOY SOURCE 2019
石黒景太氏によるポスターデザイン発表!!! 2019.02.13 *JAGATARA2020、 ベースに
黒猫チェルシーより宮田岳氏 参加!!! 2019.02.13 *チケット一般発売開始!!!
プレイガイド 10:00より、クアトロ 10:00より、 東京ソイソース チケットサイト 11:00より、 ミリバール・FUKUSUKEは営業時間内のみの発売。 2019.01.26 *JAGATARA2020、ドラムに中村ていゆう氏 参加!!!
2019.01.15 *FacebookページUP!!!
2019.01.15 *チケット先行予約第2弾、e+プレオーダー
本日より、1/21月曜18:00まで 2019.01.19 *本日1/12正午よりQUATTRO先行予約
2019.01.12 *チケットの取扱いと先行予約について
2018.12.25 *「30年ぶりのTokyo Soy Source」text by Oto
2018.12.18 *s-ken×Oto 「東京ソイソースの3年間は 奇跡的な時間だったんじゃないかな」 2018.12.18 |
最初は、キューバのブエナビスタじゃないけれど、冥土の土産気分で"TOKYO SOY SOURCE"に参加した人たちに会いたいと思った。OTOと話しているうちに、だったらみんなが元気なうちにもう一度"SOY SOURCE"をやったらどうだろうと思いついた。
さらに、いとうせいこうとの対談で86年~88年にかけて行われた、このイベントを回想していったら冥土の土産どころか、復活どころか、未来につながるように発信するべきだという話にまでいきついた。 また、いとう君のようなゲスト参加して熱い想いを記憶している人だけでなく、当時、客として参加してくれた人たちも、決まってエポックなイヴェントだったと目を輝かせる。客の中にはその後、クリエイター、アーティスト、プロデューサーとして世に出た人も数知れない。 回想録にも書いたが個人的にも"TOKYO SOY SOURCE"は特別な体験で、OTO、こだま和文、松竹谷清という中心人物をとりかこむ多くのミュージシャン、ゲストで参加してくれたアーティスト、川勝正幸、小野俊太郎など数えきれないスタッフが、この時期なにか強力な磁力によって引き寄せられたように、湾岸の芝浦インクスティックに結集し生まれた、ミラクルな時間だったと思う。 中には、江戸アケミ、松永孝義など故人となってしまった人も多く、奇しくも30年ぶり復活する"TOKYO SOY SOURCE 2019"は彼らに思いをはせる追憶の夜にもなるだろう。 2018.11.29 TOKYO
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s-ken s-ken& hot bomboms |
もう30年も前のこと。
思い出すと、だんだん鮮明になり、少し前のことのようでもある。あの頃と今の暮らしぶりがさほど変わっていないからかも知れない。変わったのは、今も棲む部屋の壁が古びていること。江戸アケミをはじめ、幾人もの愛しき楽友が亡くなっていること。9.11があり3.11が遭ったことなど、、、 厳しくても、今日まで生かされてきたから、音楽を続けている。 「愉しく自由な場を創ること、演る音楽や、取り巻く環境を少しでもマシにすること」が東京ソイソースにかける想いだった。 当時、下北沢に在った松竹谷清が働いていたレイズブギにS-KEN、OTO等と集まり、よく話していた。 「さまざまな音楽を経て今、演る音楽」 「既存のイベントやフェスみたいに、オラが1番、トリはどのバンド?みたいな在り方はしない」と語ったのを覚えている。 思えば世はバブル後期だったのだろうか。OTOと2人で音楽業界に対する違和感や、そのうちやってくるかも知れない原発や核を巡る危機的な世界の行く先をとりとめなく話していたように思う。 とにかく、東京ソイソースを支えた人々、ファン、出演者、場、が好きだった。 時を経て、去り、明日は知れない。 数年前から、つたなくもじゃがたらのタンゴを歌っている。江戸アケミは笑うだろう。 |
こだま和文 (DUB STATION) ex. MUTE BEAT |
「Soy Sourceは、お祭りだ。別にふだんいつもいっしょにいたりするわけでもないけど、なにか気になっていたやつらが、バンドが、集まってきた。なんの気どりもなくお互いを自由にして、playする、そんな場だ。むだ話なんかいらない、ビートがことばだ。歌がお話しだ。ぼくらの笑いに君のほほえみ、恋のはじまりにことばはいらない。TOMATOS 松竹谷 清」 Tokyo Soy Source NO.3のパンフでこんな事言ってるけど、"LIVE STIFFS LIVE"のSTIFFツアーのような気持ちでした。ちょうど'86-'87年頃みんなレコード出したりして、バンド同士刺激しあって、異常な熱気が僕等にあった。
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松竹谷 清 ex. TOMATOS |
後日更新予定。
「TOKYO SOY SOURCE」"30年ぶりのTokyo Soy Source text by Oto"も合わせてお読みください!! |
Oto JAGATARA |
Ⓒ2018 TOKYO SOY SOURCE 2019