松竹谷清×森雅樹(EGO-WRAPPIN')
こっち寄りの大人たち
こっち寄りの大人たち
東京ソイソース復活に向けてのカウントダウン企画。第2回目は松竹谷清と森雅樹(EGO-WRAPPIN’)の新旧対談!!
● まずはおふたりの関係というか、馴れ初めから教えてもらえますか。
松竹谷 たぶん、僕のライブの時に蜂須賀(俊博:ヒップランドミュージック)が連れてきたのが初対面だと思うんです。だから10年以上前だな。仲良くなったのはリトルテンポのライブの打ち上げなんだけど、そのさらに前、『くちばしにチェリー』(2002年)の頃。でも僕ね、その前から『a love song』(1999年)大好きで聴いてましたよ。 森 『merry merry』(2004年)の時、マスタリングスタジオに来てくれたこともありましたね。 松竹谷 そういうのもあったね。内田(直之)がアナログマスタリングしてる時に顔出したな。 ● 森さんは、会う前から(松竹谷)清さんの音楽、ご存知でした? 森 初めて知ったのが(吾妻光良&)The Swinging Boppersのアルバム『SQUEEZIN’&BLOWIN’』に入ってた曲(『知らぬまに心さわぐ』)だったと思います。アルバムの中の写真見て、「このギター、かっこええギターやな」と。 松竹谷 ここまで仲良くなったきっかけは、2009年のリトルテンポのライヴ(@渋谷クラブクアトロ)に森くんがDJしに来てくれて。そこですっかりこうなったというか。 森 「森くん」が「森~」に変わりましたね(笑)。嬉しかったです。そこから、清さんは札幌在住だし僕は東京やから、ライヴやフェスで行くたびに連絡して会うっていう。 ● おふたりは会ってどんな話をされるんですか? 松竹谷 主に、レコードかね? 森 そうですね、「これ知ってるか」「これ聴いとけよ」って。僕の思い込みかも知れないですけど、他に人がけっこうおるのに、いつも僕を標的にレコードをかけてくれるのがすごい嬉しいっていうか。 松竹谷 まあそんな感じっすね。EGO-WRAPPIN’のライブもよく観させてもらってるし、きっとこれ好きなんちゃうか、っていうのが(笑)。EGO-WRAPPIN’、ニュー・ウェイヴ感がいいですね。本当に好きっす。 ● 清さんに教えてもらって、印象に残ってる音楽は? 森 プリンスの初期。清さんとプリンスってあんまりイメージ出来なかったんですけど……。 松竹谷 グイッ!グイグイ~!グイグイ!(ノリノリ) 森 堪らなかったっす。音楽的視野が広すぎるこの人、ってなって、それからどんどん好きになっていった。 松竹谷 やっぱ『リトル・レッド・コルベット』でしょ。12インチ持ってるか?かっこいいぞ~。 森 あと、ローリングストーンズ『ベガーズ・バンケット』。ローリングストーンズって、いつの時代も好きな人いて、必ず「ビートルズとどっち好きや?」って聞かれたりするの、すごい嫌だったんですけど。でも、清さんが聴かせてくれるローリングストーンズは違うんです。ストーンズを聴いてるポイントが(他の人とは)違う。で、そのポイントが僕も好きなんですよ。ストーンズを今でも推してる清さんがかっこいいんです。清さんのかけるストーンズは説得力があるというか。 松竹谷 大貫(憲章)のクラッシュみたいなもんやね。 ● 森さんの当日の選曲も当日期待してますけど。 森 お恥ずかしい。 松竹谷 頼むね~! 「東京ソイソースの思い出」 ● 本題に入ります。今回、東京ソイソースが30年ぶりに復活ということで、まずは清さんにお伺いしたいのですが。そもそもTOMATOSが80年代後半に東京ソイソースに参加することになった経緯は……? 松竹谷 最初はOtoがエスケンとなんか話して、「4バンドで集まってやらない?」って感じからきたんですけど、結局その根っこには「10年後の東京ロッカーズ」的な何かがあるんじゃないかなと思うんです。 ● じゃあ清さんも、Otoさんから誘われた? 松竹谷 そうですね。Otoから直接、でしたね。なんとなく近いバンドっていうか、日頃から仲良くしてた4バンドが集まったというか。エスケンは東京ロッカーズツアーで札幌来た時に、わりと仲良くしてもらってましたね。それで、俺が東京出てきたら、アルバイト先にいきなり電話かけてきて「ツバキハウスでイベントやるからどうのこうの」って、どこで俺のバイト先を見つけたんだか(笑)。 ● 最初にその4バンドでイベントを始めると聞いた時、どう思われました? 松竹谷 好きなバンド同士だから面白いんじゃないかな、ってくらい。他の各バンドは意識してたと思うんだけど、でもそこまで俺はね、思わなかったっすね(笑)。コメントにも書いたけどSTIFFツアーのような気持ちでしたね。で、他のバンドはかっこいいこと演ってるけど、エディ・アンド・ザ・ホット・ロッズみたいなバンドもいていいんじゃないかな?という感じかな。 ● 東京ソイソース全5回の中で、特に清さんが印象に残っているシーンは何ですか? 松竹谷 バンドの合間にDJをはさむってことをまだ誰もやってなくて、僕らも初めてだったんで、だからたぶんVol.2のときにタイニー・パンクスのライヴ中にMUTE BEATの今井が(ドラムの)カウントを出して入っちゃったんだよね。そしたら(高木)完ちゃんが怒り狂って暴れてたね。あとはMUTE BEATに(江戸)アケミが入った時におちんちん出してたとかね、そういうくだらない話ばっかだな。 ● 森さんはその頃は? 森 知らないです、リアルタイムではないですね。僕、大阪から上京して来てるんですけど、東京行く時に3つ上のヘビメタ好きのお兄ちゃんが、なぜか1本のカセットテープをくれて。その片面がなぜかMUTE BEATで、裏面がDEAD END。「兄から弟へ」ってサインペンで描いてあって、これを東京で聴け!って。DEAD ENDは知ってたけどMUTE BEATは知らなくて、そこから東京でずっとそのカセットを聴いてたんです。ほんで、ちょっとした時、ラジオのイベントでこだま(和文)さんに会うことになって、「あ、あのMUTE BEATのこだまさんや」ってなって。で、その後にエマーソン北村さんに自分のバンドを手伝ってもらったりして、エマーソン北村さんから清さんのことを聞いてたっていうのもありますね。で、その後に清さんに会って、その後にエスケンさんのイベントにDJで呼ばれたんです。そこでエスケンさんに会う。あと、Otoさんにも会ってるんですよね、フジロックのサヨコオトナラで。だから、4バンドの人たち全員に別々で会ってて「俺はこっち寄りなんや」って思って……。 ● こっち寄り??? 森 東京出てきて、いろいろフェスとか出て、メジャーでやってる同世代の子と関わることも多いんですけど、そないに深く入っていく感じがなくて。それと別になぜか周りにかっこいい大人の人がおって、「あ、俺けっこうこっち寄りかも知れない」と。居心地がすごい良くて、自然となついていってる感じですね。 ● じゃあ、今回、東京ソイソースに誘われたときはどう思いました? 森 こっち寄りやって確信もあったし、嬉しかったです。エスケンさんは、会った時に「なんて素敵な大人なんだろう」って思いました。音楽の趣味も最高ですし、僕、すごい選曲褒められて「きみ、いいよ」ぐらいの感じで言われたんで。また会うことあったらいいなって思ってて、今回これで正式に(こっち寄りの)メンバーになれたと……すいません(笑)。 ● 今回の東京ソイソース復活、清さんは最初に聞いたときどう思われました? 松竹谷 まあ、みんなに会えるのは嬉しいなって感じかな、素直な話。きっと50代60代の、当時のギャルが来ると。まあ今まで音楽好きを続けてたら、けっこう(東京ソイソースに)思い入れあると思うんだけど、そういう人たちの方が気合がグッと入ってる感じがあって。この前ね、元旦にザ・スリッツの映画(『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』)観に行ったんですよ。そしたら隣に座ったおじさんが「松竹谷清さんですね?僕、3月16日の東京ソイソース行きます」って(笑)。俺もびっくりしてね、面白かったね。まあ、今の僕らの現状を演れれば、くらいの感じですかね。 ● この前こだま(和文)さんと共演された時、おふたりで東京ソイソース2019の話はしましたか? 松竹谷 ほとんどしなかったね。「楽しみだね~」くらい、あまり話さない。昔は東京ソイソースの後で飲んで、みんなで俺の彼女の家に行ったりしてたね。こだま(和文)なんか朝起きていきなり「みんな素振りしろよ」とか、わけわからなかったね(笑)。 ● 具体的な話、面白いです。他に当時のエピソードあれば。 松竹谷 ん~、喋ってるうちに出てくるからね。まあでも、川勝(正幸)くんと(小野)俊太郎くんも途中からやらなくなったりして、いろいろみんなで話し合ったりもして、あまりにもトレンディなイベントになるのも何だかな~、自分たちの手もとにあった方がいいんじゃないかな、って感じになったんじゃないかな。それで総合プロデュースでオルガン・バーの田中てっちゃん(田中哲弘)に、って感じになったんじゃないかな。 ● 5回で終わってしまったのは、清さん的にもこの辺で終わりって感じでしたか? 松竹谷 そうだね、「ここから先は個々のバンドでやりましょう」ってのが強くなった感じかな。 ● じゃあ、もともとそう思っていたところにアケミさんが亡くなってしまい……。 松竹谷 それも大きいかもね。まあ(江戸)アケミも大変だったと思うんだよね。無理してやってたと思うんだ。そこはこだま(和文)が一番近いから……いろいろあると思うんで。すいませんね、シリアスな話になりましたが。結局、バンド同士が刺激しあえたのが一番良かったかな。そのあたりの話については、まあエスケンの本(『S-KEN回想録 都市から都市、そしてまたアクロバット1971-1991』)でも読んでいただいて(笑)。 森 当時の様子を想像するに、自分の経験で言うとデタミネーションズを初めて観た時の衝撃とか、そういうのと同じ感じなんかなって思いますけど。大阪の場合はスカ/ロックステディっていう縛りだけど、東京ソイソースってそういう感じじゃない気がして、もっとミクスチャー感あったんかなって。 ● そうですね。普通のロックじゃない音が全部集まっていた、という印象でした。 松竹谷 それは本当にそうですね。やっぱり当時、レゲエひとつとっても、そんなに聴いてる人いなかったもんね。ましてやアフリカだ、サルサだって、何だそれって感じ。86年当時だもんね。 ● 森さんは、ソイソースの4バンドのそれぞれの音源は聴かれました? 森 はい。よくエマーソン北村さんの家で当時の映像を観せてもらって……。 松竹谷 映像はええぞう。 森 ありがとうございます。 「各バンドの印象」 ● ここで東京ソイソースの4バンドについて、それぞれコメントをいただきたいと思うですが。清さんからいいですか?まずMUTE BEATから。 松竹谷 MUTEBEATは、なんせこだま(和文)のセンスが色濃く反映して、全曲AマイナーとGで演ってるような、本当フィルムノワールって感じ。『危険な関係のブルース』もやってたけど、そういう感じとダブの感じがスタイリッシュでかっこよかったですね。こだま(和文)とは意識しあってたかなあ。ファッション的にも近いところがあったんだよね。「なんだ、あの袖まくりの幅は⁉」とか(笑)。そんな感じで俺はチェックしてましたね。JAGATARAは下北沢あたりでわりと一緒にいたんで、遭遇することもあったんですけど、なんせOtoが「面白いバンドを探してる」とかで、向こうから近づいてきてくれた感じでした。俺もちょうどアフリカ音楽に燃えてた時だったから、そんな話をして、JAGATARAの目黒鹿鳴館のライヴにゲストで呼ばれたりしてね。まあリズムのことを一生懸命考えてるバンドだっていうのが強かったかな。亡くなった(伊藤)耕のいたフールズってバンドも、近いところにいたんだよね。東中野一派ですかね。エスケン&ホットボンボンズは、俺が好きな音楽をより一層オシャレに、良い感じに演ってるなクソー、っていう(笑)。バンドがみなさんお上手だし、だから負けたくねえな、って思ってましたね。自分は違った感じでいきたいなと。 ● ありがとうございます。森さんお願いします。 森 MUTE BEATはさっきの兄ちゃんのテープから入って、初めて聴くタイプの……東京に合う音楽っていう感じで聴いてたかな。JAGATARAは、上京する時にデタミネーションズ・高津(直由)さんからJAGATARAの本(『じゃがたら』陣野俊文)もらったんですよ。そっからじわじわ来て、エマーソン北村さんってJAGATARAのメンバーやったんや、ってなって、で映像観たらダンスミュージックで、イアン・デューリー演ってましたよね。イアン・デューリー好きだったから、それで親近感沸いて。おまけにダンサーいたでしょ? だから「JAGATARA、米米CLUBより全然すごいやん!」って。 ● (笑) 松竹谷 いいねえ。 森 昔、雑誌のアンケートで「伊達男と思う男性ボーカルは?」みたいなのがあって、いわゆるデヴィッド・ボウイ的な、たとえばジュリーとかを他の人は選んでたんですけど、僕、なぜか1位に江戸アケミさんって書いたんですよ。それくらい自分の中では「いい男やったんかな」という感じですね。あと、エスケンさんは、こないだの新譜(『Tequila the Ripper』)けっこう聴いてますね。エスケンさんは歌っていうか語りっていうか、どんな演奏でもエスケンさんの世界に出来る気がして、あんまり聴いたことがないサウンドでかっこいいです。 ● 最後に、TOMATOS並びに今の清さんの音楽について。 森 「森、ギター上手くなりたかったら歌うたえ」って清さんに言われたことがあって、それがジワジワ分かってきて、分かってきてというか……。 松竹谷 俺も調子いいね、すいませんね。俺が一番ギター下手だぞ。 森 上手いとかそういうのとは違う部分で教えられている感じですね。バンドも混じり具合がいいというか、どこかロックンロールに繋がっていくところが共通している気がして。と思ったらイアン・デューリーとかそういう時代の音楽も好きだし、なんか好みが全部詰まってる感じですね。いや、もう、かっこいいっすね。みなさんかっこいいっすわ。みんな人間味がすごいあって、色気とかこだま(和文)さんすごいし……。 松竹谷 こだま(和文)には負けねえ。 ● 最後に、お客さんに一言お願いします。 松竹谷 短い時間ですが今の自分をさらけ出しますんで、ヴァイブス送ってください。お願いします。 森 自分が楽しみにしてるのが大きいです。みんな観に来た方がいい、って感じですね。 ● どうもありがとうございました。当日楽しみにしています! interview&text by 北尾修一(百万年書房)
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松竹谷清
北海道 札幌市出身。80年代から90年代にかけてTOMATOSとして活躍。新しい音楽シーンとして注目された『Tokyo Soy Source』に参加。近年は、吾妻光良&The Swinging Boppers、西内徹バンド、松永孝義のアルバムへの参加や、友部正人、LITTLE TEMPOなど多数にのぼる共演、国内フェスへの出演、ソロでのライブ、また自身のバンド「松竹谷清&Chocolate Dandies」(with エマーソン北村・山口大輔)と活動は広範囲。6月9日のバンドでの東京ライブも毎年恒例となりつつある。2018年にはアナログシングル『THE CHRISTMAS SONG』(BAHIA LABEL)をリリース。その存在感はキャリアと共に味わい深さを増している。 松竹谷清 お知らせサイト
http://matsutakeya2.webcrow.jp/ キヨシの日記 https://matsutakeya.hatenablog.com/ 森雅樹(EGO-WRAPPIN')
EGO-WRAPPIN’ ギタリスト。 1996年 中納良恵(Vo、作詞作曲)と森雅樹(G、作曲)によってEGO-WRAPPIN’結成。 2000年に発表された『色彩のブルース』や2002年発表の『くちばしにチェリー』は、多様なジャンルを消化し、エゴ独自の世界観を築きあげた名曲として異例のロングヒットとなる。以後作品ごとに魅せる斬新な音楽性において、常に日本の音楽シーンにて注目を集めている。2016年には結成20周年を迎え日本武道館でワンマンライブを行い、その模様を収録したLive Blu-ray&DVD『ROUTE 20 HIT THE BUDOKAN 〜live at 日本武道館〜』をリリースした。 EGO-WRAPPIN’の活動と並行して大型フェスからクラブイベントまでDJとしても活動中。大根仁脚本・演出 / オダギリジョー主演のドラマ『リバースエッジ 大川端探偵社』のサウンドトラックも手掛けた。 EGO-WRAPPIN’オフィシャル
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